自由で楽しく「自分らしさ」を最大限に引き出す家づくりを全力でサポートするかなう家Rです!
ここ最近、鼻の粘膜が終わってしまいました。くしゃみや、軽く鼻をかんだだけで殴られたの?ってぐらい血が溢れ出てしまいます・・・粘膜を焼くといいよ~とよく聞くのですが焼くっていうのがとてもとても勇気がいるため持ち越して早4年ほど・・・痛くもかゆくもないのですが、『あ!鼻水が垂れてくる・・!』って思ったら鼻の周りはもう血だらけです(笑)朝起きるといつもびっくりされます。笑ってしまいます。いや、もはや笑えない高橋です(‘ω’)
題名にもある通り、親孝行の日についてお話です(*’▽’)
私は高校卒業して2年間同じ新潟県内でしたが一人暮らしをしていました。就職は地元に戻るつもりで就職したものの、いろいろあり東京の方に上京し6年勤務したのち、今年群馬にまいりました。一人暮らし歴も10年ぐらいです(‘ω’)
この10年で思ったことと言えば色々ありますが・・・
友達が近くにいないこと、東京は何もかもが高いこと、人口密度が高すぎること。
何より、親のありがたさを感じました。
家に帰ってきてまず、温かいご飯を食べられていたこと、3食バランスのいい食事を出してくれていたこと。なんでも好きに習い事や遊びに行かせてくれたこと。祖父母も同居しており、高校卒業して一人暮らしには大反対されていたものの、両親は賛成してくれていたので、私の知らないところで説得してくれていました。
どれをとっても不自由なく生活させてくれた両親には大感謝です。
学生のころは、多少は家事の手伝いはしていたものの母のようなご飯は作れず。
仕事終わりでご飯をつくれる気力がそもそも自分にはない・・・
自分ひとりで生きるのに精いっぱいなのに、両親は自分も含め3人の子供を育ててると思うとすごすぎです(笑)
たまに帰省すると駅の改札前で待っててくれて、何食べたい?って私が食べたいものを作ってくれて、帰りにはお弁当を作って持たせてくれて・・新幹線の中で泣きながら食べて帰ったこともありました(食べるの早すぎ)
私はもし子供が生まれたら両親と同じことができるだろうか・・(´;ω;`)
実家にいたころは父とは全然話すこともなく、ただただ学校の送り迎えや塾の送り迎えや、たまーーーにお出かけに連れて行ってもらったり。(すごい寡黙な人だったので全然会話続かないのでまじで車の中が地獄でした。ごめんね父)
そんな父も私が家を出て帰省すると、ビビるぐらい喋ります(笑)え、こんなに話す人なんか?ってぐらい(笑)実家かえって家に着いて一息つく前にどっか行くぞ!!って連れ出してくれます
私が実家にいたころもそれぐらい喋ってくれればいいのに・・って思います(笑)
もう仕事もリタイアして家でゆっくりしながら自分の趣味を謳歌しているようです(^^♪(今は趣味のカメラで写真沢山撮って賞取ったりカメラマンしたりしています)
それに振り回される母。よく愚痴のラインが来ますが、子供3人をもう成人まで育て上げてくれたのであとは2人でゆっくりした時間を過ごしてくれ~~と思いながらほほえましく聞いています。
ほんとに自由にのびのびとさせてもらったけれど時には厳しく育ててくれた両親には感謝しかありませんし、偉大だなと感じると同時に尊敬しています。
親が元気なうちに親孝行沢山しておかないと後々後悔するなって思っています。
姉も嫁いで県外に行っており中々家族全員で集まれることも少ないですが思い立ったら親孝行をしていけるように後悔のない日々を過ごしていけるといいなと思います(*’ω’*)
本日は私の両親についてでした(^^♪
長々失礼いたしました
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